先に書いたバンコク無観客試合にいた観客について、朝鮮新報上でまだ試合が続いているようだ。前回紹介した朝鮮新報の記事に続き、浅野健一同志社大教授がこの記事で読売新聞特派員として観戦した作家村上龍氏の読売新聞及び夕刊フジでの記事を非難している。
村上龍氏とはかつて都内ホテルの彼の執筆部屋でお話する機会があり、その時にこの人は極めて差別感覚のない人だと感心したことがある。それもあり、村上龍氏をここで援護しよう。
浅野教授の言い分は、村上氏は1)日本人がたくさんいたことを書いていない、2)金日成バッジをつけた人々に囲まれたとデマを書いた、3)朝鮮をおとしめる発言をした、の3つだろう。1)は書こうが書くまいが筆者の自由でしょう、2)は村上氏は北朝鮮ベンチ裏にいたので囲まれていたのは事実でしょう、3)は村上氏はサッカーをしらずに応援席で騒ぐ人と覇気のなかった北朝鮮選手を”リスペクトできない”と明言しているが、それが朝鮮をおとしめている風には私には読めない、むしろ、浅野氏の記述の方が日本をおとしめているように感じられる。そもそも”リスペクトできない”と”おとしめる”では、"ほめない"ことと"けなす"こととの差が歴然とあり、私自身は村上氏のこの言葉の選択にむしろ彼の朝鮮に対する愛と期待を感じてしまう。
6月15日の浅野氏の記事は好感を持ちつつ読めたのだが、7月1日の記事の方はなにか、悔し紛れのいちゃもん、と感じさせられるのが残念だ。読売新聞が村上龍氏を特派員にすることを問題視したり、国民的スポーツ活動の支援に対する金の使い方を「日朝戦を金で買った疑い」と表現しちゃったりすると、勝負に負けた後やけくそで棒をぶんぶん振り回す子供とかわらない。浅野教授が立証するべきは村上龍氏の読売、夕刊フジでの発言のどこが「デマ」なのか、村上氏がいかに朝鮮をおとしめているのか、だと思う。
しかし、浅野さんも村上さんも、このブログの記事を読むと、戦意喪失されるでしょう。 こちらバンコクは脱力的にのんきです。
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