今日は、会社の近くで交通事故が起こり電柱にぶつかったとかで、AM11時頃に会社のビル全体が停電になった。未だにバンコクではたまに(年に2-3回)停電がある。いつも局地的なものだ。そして、いつも10分程度で復旧する。
ところが、今回はちょっと様子が違う。PM2時頃まで待っても復旧せず、外出予定もあったのでそのまま会社を出たのだが、その後電話があり、停電は夕方まで続きそうなので、今日は早々に会社、いやビル全体を締める、との連絡があった。
日本で停電を最後に経験したのはいつだったろう。負荷オーバーで自宅のブレーカーが落ちるというのは数年前に1回あったが、ご近所そろって停電、というのは10年に1回くらいあっただろうか。普段は全く忘れているのだが、停電になるとデンキのありがたみ、エジソンの偉大さをつくづく実感する。
いまの勤務先は24階にある。停電になると3つの大きな問題が突然降りかかる。
その1:PCが使えなくなり、仕事ができない。
メールサーバーも自社内なのでダウン。むなしくラップトップだけ動くのだが、メールの送受信やwebが見れないととたんに無力感と脱力感が押し寄せる。ラップトップの電池が切れてくるにつれ、焦りと絶望感が徐々に強くなり、自暴自棄になってしまう。
その2:エレベーターが止まり、24階から降りれなくなる。
一応、自家発電のエレベーターが1基だけあるので今日はそれを使って降りたが、ビル内の人間全員がそれに殺到するので、満員による見送り、各階止まりになり、今日の場合、ビル脱出に約20分かかってしまった。エレベーター内は東京の真夏の満員電車のようで一瞬、日本が恋しくなってしまった。ちなみに途中オフィスに大事なものを忘れてきたことに気づいたのだが、さすがにきっぱりあきらめた。
その3:当たり前だがエアコンが止まる。
1時間くらいは楽に耐えられる。床、壁、天井の余冷もあるし、窓を開けて風も入れられる。しかし、2時間になるともう、働く意欲はそがれる。3時間を過ぎると生きる気力が失われていく。タイ人社員は早々に脱出を始める。先日NHKのプロジェクトXで、戦前の船の船長はもし船が沈没すると、船を離れず殉職するのが正しい、とされていたと言っていた。私は、密かに船長になっていた。「急用のない奴はオフィスから出なさい。私が最後まで残って見届けるから、心配するな。」といいつつ、予定時刻より相当早めに外出先に向かうことにした。(前述のエレベーター時間ロスで結局先方への到着は予定時間通りになってしまったが。)
結局、用事が終わり外出先からPM5時頃帰ってきたが、まだ復旧しておらず、すでにほぼ全員退去したビルの非常用エレベーターで24階に上がり、真っ暗でカギのかかったオフィスに荷物だけ置いて、そそくさと自宅に帰った。自宅でメールのやり取りをしよう、と思った。久々の日没前の帰宅だ。明るいうちに家に帰るのも気分がいいなぁ。突然の帰宅に戸惑う妻と息子と飯を食い、さて、仕事、と思ってはたと気がついた。メールサーバーもいまだ暗闇の中だった。まぁ、たまには停電による休養もアリだよね。
テレビを見て、ビデオを見て、これを書いて、今日は寝る。
実は昨日の停電はフィリピンから来た日本人との会議中で、彼らとは前日夜、街を歩いていて「いやぁ、バンコクの電気供給はすばらしい。街が明るい、電気使いたい放題って感じですねェ。マニラはとにかく電力不足で照明器具の数が少ないので、部屋が暗い。早く消灯する。家庭には冷蔵庫が余りない。エアコンは超ぜいたく品。停電が多い。ぶつぶつ...。」とぼやかれていて、こちらでも時々停電はありますけど、すぐ復旧しますから気にはなりませんねぇ、どこでもエアコンギンギンだし、ふぉっ、ふぉっ、ふぉっお」とお国自慢、電力自慢をしてしまっていたのだ。
停電後、残冷が消えぬ間に「メシ行きましょう、メシ」とそそくさと退出させたので、その後、マニラ並の状況になっていたことは悟られていない。
投稿情報: ttokumo | 2003-05-21 11:19
いやー、ご苦労お察しします。
私が10数年前マレーシアに住んでいた時にも、数日に一度は停電がありました。いつも昼間で、短時間で回復したのでなんとかなりましたが、何度か半日位とまった時は参りました。
お湯もほとんど電力で沸かしているので、シャワーもあびられない...という厳しい状態で、自家発電のある近隣のホテルに避難せざるを得ない時がありました。
日本ではそういえば、停電は最近はほとんどありませんが、原発停止の影響で、今夏はいろいろ起きそうですね。電力のありがたみ、エネルギーの大切さが身にしみる夏になりそうです。
http://www.asahi.com/special/electric/TKY200305080275.html
投稿情報: minami | 2003-05-21 06:21