前号に続き、いよいよ運転手1号、2号、3号をご紹介しよう。
我が家の運転手1号はシットさん。英語だとヘンな名前。30前後。
赴任してからそれまで、そして12年前の駐在の時も自分で運転していたのだが、家族のために運転手が必要になり、周りに声をかけた。いい運転手いませんか?するとまもなく仕事仲間の日本人が、「ウチのメイドのお姉さんの婚約者が、運転手の仕事を探しているらしい。イギリス人家庭の運転手をしばらくやっていたので、英語も通じるらしいよ。会って見る?」「会う会う」
今でもかーちゃんは思い出していう。
「シットさんはよかったよねぇ。気が利いて、礼儀正しくて、優しくて、きちんとしてて。」
確かに、そういう人だった。時間も良く守り、運転もきびきびしていた。さらに、バンコクエリアの道や主要な場所を非常に良く知っており、タイ人も感心していた。
ただ、ひとつ不満だったのは、ほとんど英語が通じない事だ。私は何とかタイ語で用が足りるのだが、そのころ(半年前)のかーちゃんはまるでタイ語はわからないので、英語で指示するがどうも伝わらない。思い出せば時々ぼやいていた。しかし、大体決まった所しか行かないから、一度行けば次からは問題なくなる。ということで、幸せに暮らしていた。婚約者とも結婚し、結婚祝いも奮発し、前職のイギリス人家族というのは奇遇にも息子のクラスメートの家だったことも判明し、平和だった。
ところが、さすがタイ人、ある日、晴天の霹靂(へきれき)が…。
今年の2月中旬の事だが、シットさんが神妙な顔でやって来て、
「スミマセン、ダンナ、アサッテカラヤメサセテモライタインデスケド、ゴメンナサイネ。カナシイケド、シカタナイネ。」
何だ何だ?何故だ?決定事項か、それは?聞いてねぇぞ。
曰く、あるホテルのミニバスの運転手の職が見つかった。給料が2割くらい高い。奥さん、息子さん、だんなさん、皆いい人で仕事も何も問題ないけど、とにかく給料が高い方がいい、新婚の家計も大変だから、ということだった。
私は、とにかく頭に来たので、給料アップの交渉などはする気になれなかった。何で、あさってなんだ、来月とか、2ヵ月後とか言えよ、てめぇ。来週からどーすんだよ、ウチの家庭は。息子の学校、かーちゃんの買物、どーすんだよ。2日で替わりを見つけろってのかよ。やめてよ、シットちゃん、いや、やめないでよ、シットちゃん。せめて今月いっぱいまでやってよ。
それより、もっと腹が立つのはその次の雇い主だ。こちらが月末までやめられたら困る、と言わせたら、あちらも困る、あさってから来てもらわないと、と言われたらしい。なんちゅう、迷惑な引き抜き方だ。
思い起こせば、彼がそれを言い出す少し前に仕事であるホテルに3日間、昼夜いた。シットは昼間ずっとそのホテルの運転手控え室やロビーですることなく他の運転手達とたっぷり話をしていたに違いない。その時に「ウチは仕事は楽なんだけど給料が安くてね。子供も欲しいし、お金もっとほしいなぁ」「それならここで働かんかね、ソムチャイじいさん(仮名)が今週で辞める、とか言ってたから空きが出るんじゃねぇの?」とかいうような会話があったに違いない。まったく、暇な運転手ほどしょうもない会話をする奴らはいない。
で、怒りはまたシット本人に戻し、「それにしても前フリなく急に言い出して、ウチは来週からほんとどうすんだよ、こちらに次が見つかるまでやめさせないぞ!」と怒った。すると、
「ダンナ、ジツハワタシノトモダチ、イイヒトガイマス。ホンニンモヤリタガッテマス。アシタ、アイマスカ?」
おい、おい、そういうことかよ。もう、次を用意して絶対辞める気なのかよ。もう、いいよ、わかったよ。あしたかよ。つれてこいよ。あってやるよ。雇ってやるよ。退職金などねぇぞ。給料も今月分きっちり日割りしてやっかんな。」と将棋で自分より弱い若造に負けたジジイのように、がっくりと運転手交代を受け入れた。
タイ人はほんとに転職の際にギリギリまで言わない、あるいは次が決まったら待てずにすぐに変わりたがる。メイド1号、2号もそうだった。いつも突然言い出して、2-3日後に辞める、という。雇用主の都合など全く考えていない。会社では一応3ヶ月前に通知せよと言っているので、突然の退職は少ないが、個人雇い、低給の人たちはあまり何事にも縛られず、その場その場でのんきに生きてるからね。そこは南国人のいいとこかも知れないけどね。ラテンだよね。
さて、次週は運転手第2号の登場です。シットさんを超えるか、あるいは何処まで落ちるか、お楽しみに。おやすみなさい。(続く)
次回は
コメント