一つ前にイチロー記録の途中経過を書いてしまい、失敗した。次のエントリーを早くしないと更新頻度低いのがバレバレになっちゃうもんね。次から旬の話題、リアルタイムで動く話題を書くのはやめておこう。
仕方なく、一応イチローの続きを書いておく。
日本ではさぞ大騒ぎなのだろうと思いつつ、当のアメリカではホントのところはどの程度注目されているのだろうか、とチラッとGoogle News検索しようと思った矢先、日本のこの記事を読んで、しぼんでしまった。自分たちのことを外国がどう見ているのだろう、と気にするのは黒船来航以来の日本人の習慣なのだと。いいじゃないか、人がどう見たって、と言うべきだということなのか。うーむ、そう書かれていることをこれまた気にしている私はどうしようもなく日本人だっちゅうことやね。
だがしかし、そうは言っても、シアトルの人たちは米国人だってこのとおり、気にしてるじゃないか。日本人は米国の田舎モンと同レベルなのよ、とでも言うか。ワシの結論としては、イチローが米国リーグでも活躍できるように、人種や国籍による違いは気にすることはない、ということだ。個人差のほうがどでかいのだ。性格や行動パターンを国や地域で乱暴に一括りにするな。イチローはサムライでも日本人はみなサムライではないのだ。
何が言いたいんだろうなぁ、今日の私は…?